お姑さんが亡くなりました
前回の投稿から1か月 お姑さんが圧迫骨折されたのは11月だった。そのあと病院の整形で入院ということになり、リハビリしながら動けるように頑張っておられたと思う。コルセットを付けられて、動くのも看護師さんの手助けをしてもらいながら、車いすでしか動けないのが続いたようだ。食べ物も飲み込みにくいようで、とろみこを買ってくるように病院からいわれて持って行った。病院はまだコロナ対策で、面会ができなくて、本人の気持ちを聞くこともままならず、看護師さんにお任せするしかない。
それでも1か月ほど入院されていて、手を添えてあげれば歩くことが出来、ポータブルをベットのそばにおくと、一人でトイレもできるようになっていた。病院はそんなに長く入院はできないらしく、初めから次にどうするかを決めてほしいとのこと、私たち夫婦と義妹と話し合った結果、もう3か月リハビリができるように、老健に入り、3か月たったころの状態で又考えましょうということになった。
それでも6週間は入院されていて、その後は少し離れているが老健に入所の手続きをして、12月の終わりくらいに入所となった。施設もコロナ対策で面会は月1回で15分くらいしかできない。会うことが出来たが耳が遠いのもありそんなに詳しく状況を聞くこともできず、力なく小さな声で話される。
「施設にはなれられましたか?」 義母「なれないとしょうがないでしょう」「ご飯はどうですか?」義母「みんな同じ味がしておいしくない」 「家のことや何か心配事ありますか」 義母「なにもかも、未練はない」
というような内容で、生きる気力がだんだん薄れているような感じだった。とろみこを付けているので味がおいしくなかったのかと思う、認知症はないのであんなに自分で何もかもしていたのが、自分で動けないことが余計つらいのだろうと思った。「何かしてほしいことはないですか?」 義母「和菓子が食べたい」 たぶんとろみこなしで食べたいかな、又は母だけは飲み込みやすいゼリーやぷりんだけだったかもしれないと思った、なので施設の人にとろみこなしに食べられるようにお願いした、が、それはドクターに聞いてからということで、和菓子を味わって食べられたかどうかわからない。
入所してから1か月、仕事の準備をしていた1月28日の朝6時ごろ、施設から電話があり義母が亡くなっていたということの連絡を受けた。急でびっくりした。夫とすぐにかけつけた。義母はパジャマで眠っているかのような感じでなくなっていた。
それからは、葬儀屋とか義妹への連絡、親族への連絡、葬儀社との打ち合わせ、いろいろ いろいろ、私は義母からお寺関係のことなど引き継ぐように言われていたが、そんなに詳しいことは聞かされていなかったので、すべてがよくわからず、夫と義妹の意思に従うのが私の立場ではいいのかと思い、相談しながら進めていった。
97歳、数えでは99歳だそうで、皆さんからは大往生ではないかと、寿命が決まっているとしたら、眠っているうちになくなったのだから、本人にはよかったのではと多く聞かれた。私もそう思った。ただ、病院、施設に入ってからあまり、話をすることもなかったので、本人の気持ちがどうだったかはわからないなあと思う。私たちはこれでよかったと言っていいのかどうか、それは言わないほうが良いようにも思う。
今、少し落ち着いて思うのは、自分がその日を迎えるとき、必ず何かの悔いが残ったりするものだと思うので、完璧な思った通りの生というものもないと思うので、どんな形の死であってもなるようになったと思って、未練なくさりたいなと思った。ただやはり、できれば苦しまないで逝きたいとは思うが。